2014年12月04日

須賀と私 2

松浦氏は当時40前、私は50歳になっていた。
SUGAとは1995年から、カメラマンではなく編集者としての
付き合いが始まっていたが、97年の祭り会社、2001年の
ハレルヤのビデオは文化映像が撮影した。
ハレルヤを撮った、よさこいは松浦氏と初めての出会いとなったのである。

余談だが、この時期、須賀は真也君や岡野氏とも出会っている。
岩目氏と「よさこい日本」活動も丁度この時期で、セントラルを離れて
この時期から、IZANAI活動が始まろうとしていた。

よさこい、の打ち上げで地中海は、深夜になっても賑わっていた。
息子を交えた音楽談義の中、突然松浦氏がこれからの須賀について
語りだした。

「尊敬する須賀先生が重要な時期に来ている、僕も力を貸すので、
窪内さんにも協力してもらいたい」との事だった。
私も、そのつもりだったので快諾したのだが、、、、、。

何を、どのように協力したら良いのか、悩んでいるうちに、
須賀は、目まぐるしく羽ばたき始めた。

よさこいミュージカル、から本格的にIZANAIミュージカルとなり
全国と言わず、ヨーロッパ公演へと飛び立った。
日本全国のあちこちに祭りを起こし、IZANAIの基礎を固めていった。

私はと言えば7年間続けて来た高知県人社を閉め、2002年の
高知国体の軟式野球チームの強化試合に全国へ遠征していた。

再び須賀に再会したのが、国体の開会式だった。

協力するも何も、全く会えなかった、のである。

そうこうしている内に、須賀はレオマへ事務所を構えてしまう。
2005年まで、空白の時間が始まった。

posted by satowa2 at 01:25| Comment(0) | essay | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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