2014年10月13日

何故希帆だったのか?1

これから書く事は、全くの偶然なのだが、
今回のSUGA I Dream公演を控えて、連日のように
レッスンに励む希帆を見ていて、ふと頭をよぎった事。


DSC_0150.JPG





...私が家内と交際を始めたのは1969年高校を卒業してからだが、
当時高校2年生だった彼女は、毎日のように放課後私の家に来ていた。
私は大学浪人で、昼間は写真館でアルバイトをしていて、
5時に帰宅して7時には、バイクで彼女を家まで送るのが
日課となっていた。

彼女の家は百石町2丁目、高知工業高校の西にあった。
希帆ママの実家が同じ町内だと知らされたのが、つい最近。
家内より15歳ほど年下だから、当時生まれたばかりだった筈。
幼い希帆ママと何処かですれ違っていたかも知れない(笑)!

希帆が生まれた頃の1998年、競輪競馬に明け暮れていた私は、
高知競輪場を手始めに南国のサテライト、観音寺、丸亀のボートと
毎日のように出掛けていた。時には東京大井の競馬場まで。
そして最後になったのが、高知競馬場だった。

レースの始まる前や、レース終了後に良く立ち寄ってコーヒーを
飲んだのが春野のスプリングス。
希帆の祖母の経営するレストハウス。

どうです、少し話が面白くなってきたでしょう。
でもこれは、単なる偶然。こじつけ臭い(笑)!

希帆の通っていた幼稚園が、潮幼稚学園だったらしい。
1990年から2005年くらいまで、文化映像が
この園の、園児の記録を撮っていた。
発表会や運動会、遠足や平日の様子を記録した、年間ビデオと言うもの。
文化映像のマークの入ったビデオを希帆が持っているらしい。
希帆の撮影は既に始まっていた(笑)!

およそ10年後、イオンの発表会で希帆に出会う。
これも、偶然、偶然なのだ!!

続く

写真は、希帆を写した最初の1カット。

posted by satowa2 at 02:30| Comment(0) | essay | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。