2014年07月08日

踊ること、撮ること、そして愛すること、、喜怒哀楽 1

東京にいる娘に催促されて、先日撮影した演劇の編集に取り掛かった。
今回は脚本に続き、演出も手がけているので、少々気がかりだったが、
それなりに、役者さんに手伝ってもらって、何とかなっている。
起承転結、喜怒哀楽は一応出来ているので、編集も楽だ。

喜怒哀楽は本来 喜、悲、苦、楽、なのだが、
本当の悲しみや苦しみを表現する事は一般的にはまず不可能であり、
表現したとしても、それは上辺だけの事でしかない。
悲しみ苦しみは、本人しか解らないもので、他人に見せるものでは
ないし、見せようとするものでもない。

そう言う訳でもないだろうが、表現の方法として、悲しみは哀しみとなり
苦しみは、怒りとなって喜怒哀楽という言葉が使われる。

演劇の世界では、台詞があることもあって喜怒哀楽は伝えやすいが、
音楽や、絵画の世界では、全てを伝えるのが難しく、
その一部を取り上げて表現する事が多く、それが曲調や画風となる

踊りの場合、喜、楽、哀、の表現が多く、怒の表現は殆ど無い。
喜、楽の表現は動であり,哀の表現は静である。
喜、楽を踊る事は大切である,楽しくなくては踊れない、
楽しく踊っていれば見ている人も楽しくなる、そうなれば,
喜びも自然と湧き上がってくる。
盆踊りに始まり、よさこいやヒップホップがそれだ。

それはそれで、踊りとして成り立っている、
しかし、それだけでは私には物足らない。
踊りの魅力は、哀の表現にある、、。

哀(かな)しみは、悲しみほど直接的、動的なものではなく、
間接的、静的な、言わばジワジワと心に染みて来るような
愁いを伴った表現だと思う。

体の表現以上に、表情が重要になり「愁いを帯びた瞳」が必要となる。
この表情が出来るのは,ある意味天性による場合が多いので、
こんな踊り子には、そうそう出会わない。
ちなみに、この表情が喜びに変わる時が「色気」となる。
「お色気」ではない(笑)!

踊りの「哀」は「色気」であり、日本独特の「わび、さび」に繋がる
「美しい情緒の表現」である。
これは、技術の習得ではなく、感性の問題で、その感性が現れ始めると
オーラを発するのである。

技術を習得して感性を磨いてゆくか、感性で技術を向上させるか、
人それぞれで、前者は秀才型、後者が天才型だ。

喜、楽を動的な「きれ」とするならば、哀は静的な「しなやかさ」であり、
この「きれ」と「しなやかさ」に踊り子の表情の変化が合わさり、
瞳が輝き、愁いを帯びる瞬間にこそ、
僅か数分の間に語りかけてくる「物言わぬ踊り子」の姿に魅了される。

その意味で、希帆と夢菜の姿を撮り続け、
結果的にSUGA ANGEL達と一年以上の時を過ごして来て、
今まで全く無かった感情が芽生えてきた。

kiho112.jpg

yume11262.jpg



posted by satowa2 at 02:54| Comment(0) | essay | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。