2014年02月21日

レイチル創生期

2004年、須賀は拠点を香川のレオマワールドに移した為
2009年の「ミュージカルオペラ龍馬」まで全く会うことが無く
肝心のレイチルの踊りを見たのは、2011年のイオン発表会が
初めてで、レイチル創生期、成長期を全く知らない。

ここからは夢菜ママの映像を元に、私の独断、偏見、
想像で書いていくので
間違いや勘違いがあるかもしれない事をお断りしておく。

レイチルは岡野弘幹氏と須賀の集大成と言える。
レイチルだけではなく「須賀IZANAI」そのものが
二人の生き様であり、それは現在も悠一朗氏に受け継がれている。

漠然とした子供達の存在は、岡野氏との出会いで、
レインボーチルドレンとして明確な目標を持った姿になった。

岡野氏の作詞、作曲による WHY WE ARE HERE?
WE ARE ONEは時代のニーズに合わせ
振付と共に変化しながら現在も受け継がれているが、
(元の振付は慎之助だとの噂もある(笑))
何度見ても素晴らしい踊りである。

しかし、創生期にはWHY WE ARE HERE?
のみで、WE ARE ONEとレイチルのパーカーが
出来るまで(2005、6年頃だったらしい)は、
それ程の進展は無かったと思う。

何より、拠点をレオマに移し、ミュージカル制作が中心に
なっていた筈で、高知スタジオでは靖子が孤軍奮闘していた。

岡野氏の楽曲を踊っていたとしても
恐らく20周年公演のビデオ同様、インストラクターや大人の
後ろでチョロチョロしていたに違いない。

レイチルプロジェクトを象徴する、あのパーカーを羽織って
最前列で踊り出すにはまだまだ時間が必要だった。

残念ながら、創生期に夢菜はいないので、ビデオが無い(笑)
希帆が20周年公演の少し前に入ったらしいので、
後日希帆ママにお願いして、ビデオを見せて貰おうと思う。




posted by satowa2 at 01:19| Comment(0) | essay | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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