2014年02月18日

レイチル誕生の背景

1995年のラブスターハウスでのミーティングで
子供達によるミュージカル「いざない」構想が決定されたのだが、
私が思うに、この時期の須賀は一つの焦りを抱えていたのでは
無いかと思う。






1993年、寺澤氏の提言で立脇千賀子との協力の下に
リトルプレイヤーが創設された、その中心となったのが
立脇バレエとSUGA STUDIOの子供達だったが、
彼等は一般公募の子供達と共に、残念ながら
基礎を身に着けたクラシック出身の子供達とのレベル差は
歴然としていた。

実際、インストラクターを含めて100名近くの社会人を
中心に運営されていたSUGAでは、子供達のレッスンには
それ程の比重はかけていなかった様に思う。

例外として富永歩(麻ゆみ)が居たが、結局立脇へ通う事になる。
解ってはいても、現実目の前でそのレベル差を見せ付けられると
教えている須賀の心は揺れた筈である。

SUGA Jrの技術向上の必要性を感じたと思う。

「よさこい」で一つの時代を築き始めた須賀が、
本来目指していた、ミュージカルへの夢を果たす為の
リトルプレイヤーの創設は、須賀の欠点をあらわにした。

そんな状況の中でリトルの子供達と地元のマウイの
子供達が参加した1995年第1回ホノルルフェスティバル

子供達のパワーが光り輝いた時。
そんな時に行われたのが、ラブスターハウスでのミーティング
ベティやジャックの提案で、子供達によるミュージカル制作
という話がまとまるのは、簡単であったろう。

子供達による「いざないミュージカル」
大人中心で行われた。
実際には実現する事は無かったが、レイチルとIZANAI
の原点がここに誕生した。



posted by satowa2 at 03:27| Comment(0) | essay | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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