2014年01月16日

道標(しるべ)無き旅ーーー私の魂を導いてくれたものーーー9

転落劇ーーーご多分に漏れず、博打

高校を卒業する一ヶ月前に、友人にマージャンを教えて貰った。
フリーのカメラマンとなって暇を持て余していた私には、
これが、楽しくて仕方がなかった。







友人達との遊びがつまらなくなり、何時しか雀荘めぐりの日々
これが性に合っていたのか、朝から晩どころか、時には3日連続で
一睡もせず打ち続けたこともあった。

稼いだ金は10年でおよそ1千万、仕事の報酬は全てカメラと車に
消えていたので、生活費はマージャンで稼いでいた(笑)

とどのつまり、体を壊して入院、持病の腰痛も手伝って
自然と雀荘通いは収まっていった。

長男の野球が始まると、仕事をする間もないほど(笑)
健康的な生活に明け暮れ、充実した日々を送った。
この期間、およそ10年間だけ博打をしていない。

三男が小学校でサッカーを始めた頃から、暇が出来始めた。

時間潰しに入ったパチンコ店が、
私の人生を狂わせるきっかけとなった。
大工の元さん、モンスターハウス(笑)

94年から経営を受け継いだ高知県人社の仕事が、
パチンコ人生に拍車をかける、北海道から九州へ
各地の高知県人会の会合へ出席するのだが、
それは、全国のパチンコ店めぐりとなった。

およそ3年間、9時から、閉店する11時まで座りっぱなしの
生活は、再び腰痛を呼び起こし、100メートルも歩けない
ほどに悪化した。当然のように負け続け、
頭の中にモンスター達が出没する時間が収まる間もなく
グドラックの横に競輪の場外発売所が出来た。
今度は、自転車が走り出して(笑)、
高速に乗って観音寺まで足を伸ばし始めた。
そうなると、丸亀のボートも見に行く事になり、

当然お馬さんが走り出すのは自然の流れ(笑)
羽田の近くにある大井の競馬場は日帰りが出来た。

それでも2001年までは、結構収入があり、
借金は無かったが、僅か2年で奈落の底へ、、、

2003年、気がつけば言うのも恥ずかしいほどの
借金が残っていた。
それまで何も言わなかった家内が一言
「もう止めたら?」

ポルシェと別れる時が来ていた。
私の人生はこれで、終わったと思った、、、。

posted by satowa2 at 00:35| Comment(0) | essay | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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