2014年01月14日

道標(しるべ)無き旅ーーー私の魂を導いてくれたものーーー7

ポルシェ
私達の世代は、フォーク世代、もしくはビートルズ世代、
と言われるが、もう一つ、スーパーカーブームの世代でもある。
ポルシェ、フェラーリ、ランボールギーニ 等国産車などまるで
寄せ付けない美しい姿の車達が紹介された。


バイクから車へと乗り換えて、最初に買ったのが、カローラスプリンター
だったが、当時60万円ぐらいで、1000万円以上するスーパーカーは
夢のまた夢だった。
サバンナGT フェアレディZ セリカGTと乗り継いでいくと、
一年ごとに車は変わっていった。
それほど、車は私の好奇心を夢中にさせた。
稼いだ金は殆どカメラと車に消えた。
スカイライン、セリカxx RX7 パジェロ、アウディと乗り継いだが、
何時も、ある車が頭の中にあった。

戦時中ヒトラーの命令でワーゲンを作った、フェルディナント・ポルシェが
1930年に開設したポルシェである。
実際356(ジェームスディーンが事故で死亡した車)が発売されたのは
1948年息子のフェリーによるのだが、
1951年にフェルディナントが死亡している。この年に私が生まれていて、
何か縁を感じていたのだろう、いつしかポルシェに乗るのが夢になっていた。

何も持たない私が、結婚し、子供達を育てていく、
そんな不安な未来が待ち受けている。
浪人生活に見切りをつけ、写真の世界に飛び込んだ私を待っていたのは、
才能の無い自分自身の発見だった。
東京には天才が山ほどいたのだ、高知の片田舎で天狗になっていた
賞金稼ぎには余りにも強烈な出来事だった。

ロバートキャパの写真がピューリッツア賞をとった。ベトナムの悲惨な光景。
報道カメラマン募集の話が舞い込んできた、行こうと思った。
銀行に勤め始めていた家内に相談したが、返事が無かった、、、。

責任感か?、勇気が無かったのか?
私は高知に帰ってきて、「るっく」を開業した。
当時の伊予銀行は結婚すると退社しなければならない行則があった。
家内は半年勤めただけで、銀行を退社して私と結婚した。
21歳と19歳の無鉄砲な結婚生活が始まった。

私は、ある目標を立てた。

30歳になるまでに、
仕事を安定さす事!!
家を持つ事!!
子供を2人以上持つ事!!

27歳でこの目標を達成?したが仕事は安定とは言い難かった。
それでも新たな目標を立てるには十分な状況だった。

40歳になるまでに
仕事を子供に伝えれるようにする事!!
家を建てること!!
そしてポルシェに乗る事!!

4年後、1982年、廉価版ポルシェ944が発売された。
私は31歳になっていた、まずはこれ!!
夢は現実のものとなりつあった。

ポルシェへの願いが天に通じたのか、ここからの人生は
まるで、ドラマだった(笑)

1978年本川用水発電所建設のビデオ撮影を始める、
 写真からビデオへの転向。これが運命の始まりだった。

80年、高知プリンスホテル婚礼会場独占契約...
 高知ケーブルテレビ開設、嘱託カメラマン契約
 TVCM制作を開始。
 高知新阪急ホテル、土佐ロイヤルホテル、城西館太陽の間等の
 オープニングショーPV,館内案内ビデオを制作

82年、プリンスホテルでお世話になっていた山崎支配人
 の招きで、グドラック(玉姫殿)の婚礼会場独占契約
85年文化映像設立
 一気に従業員6人の面倒を見ることになった。

ここで、須賀に出会う。(第2回公演撮影)
10年後の県の都市計画の立ち退きを目当てに購入していた
大原町の自宅が、8年目にして国の土佐道路延長計画
(筆山トンネル)で立ち退きになった。
予定よりも2年早かった(笑)

86年神田に新築、
88年長女が産まれ3男一女となる。
最早私の夢はポルシェだけになった。
90年、ポルシェ944の中古を購入。

39歳で私の夢はほぼ叶えられたが、家は40坪の小さな敷地で
ポルシェもスーパーカーの911ではなかった。

そこでまた次の目標を立てた(笑)
50歳になるまでに

もっと大きな家を建てる!!
911の新車を買う!!

10歳で高知に出て来てから、およそ30年。
27歳で父を亡くしたから、自力でやってきたように見えるが、
実は全く違う(笑)

写真の仕事は週に2、3日撮影すれば十分な報酬が得られたので
後は朝から晩までマージャンばかりしていた。
営業は全くしなかった(笑)本来ズボラなのである。

文化映像を始めた頃が人生一番働いた時になるが、それも3、4年で
後は従業員任せで、子供の野球にかかり切りになっていた。
地道にコツコツととは程遠い人生だったから、
後に大きなどんでん返しが待っていた(笑)

それは後で述べる事にして、ポルシェの話。
92年、ついに911カレラ4の中古を購入、
東京からの高速は憧れの車を手に入れた喜びで、まほろば状態。
時速260キロの世界は未だに私の体に残っている。

93年、真っ白な911の新車が我が家にやって来た。
94年現在の鳥越に自宅兼スタジオ新築
 高知県人社経営を引き継ぎ、編集発行人となる。
 最早怖い物なし(笑)、
95年六本木で売りに出されていた
 珍しい、ホワイトカラーのフェラーリを購入、
車庫に2台が並んだ。
98年新型発売、シルバーの911カレラSになる。

2003年までの、およそ13年、
ポルシェに恋してから20年間、夢のような時間が過ぎていったが、
私の人生の半分は車との時間だったと言ってもいい。
もう半分は、女性なのだが(笑)これは最後に書く。

とにかく、ここまでが私の人生の全てだった。

ここで終われば、つまらないドラマなので(笑)
ご期待の結末を書いていこう。

奈落の底が待っていた。
posted by satowa2 at 01:50| Comment(0) | essay | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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