2014年01月10日

道標(しるべ)無き旅ーーー私の魂を導いてくれたものーーー6

バイク、
高校卒業と同時にバイクの免許を取った。
ヤマハのRー1 (三億円犯人が、使用したのと同型)の中古を
知人から購入、毎日桂浜往復の時間競争(笑)に明け暮れた。
半年もすると、暴走族(笑)


仲間2人と徒党を組み毎夜、いのはな峠へ出没。
ホンダCB750、スズキTー1 私はホンダCBー350になっていた。

この頃はサタデイナイトフィーバーが大流行(知ってるかな?)
高知の街はダンスミュージックにあふれ始めた。
フラッシュダンスもこの後だったように思う。
暴走族が、夜の街を爆音を轟かして走り回っていた。
私もその中にいた(笑)

土曜の夜ともなれば中央公園の南側の歩道橋に、暴走族見物の
群集が群がっていた。

ある夜、暴走族の中の一台が転倒してガソリンが漏れたのだが、
それに、群衆の中から数人が近寄って、火をつけた。
瞬く間にバイクは燃え上がり、大騒ぎとなった。
走り回る群集を避けようとして、真っ白いマツダのロータリー車が、
電車の停留所に衝突して大破。
翌日、新聞で、このニュースがトップを飾った。
私はこの夜、家内と映画を見に行った帰りで、
歩道橋の上で見物していた(笑)

数日後、免許センターへ普通自動車の教習の申し込みに行った。
暴走族は卒業した(笑)

バイクは一種の病気である。
自転車で移動していたものが、一瞬のうちに行動半径が広がり、
室戸、足摺、高松と平気で足が伸ばせるようになると
自分の世界が広がった気分にさせてくれる。

特に、真夏の暑さの中で、風を切って走る気分は、
言葉では言い表せない。
(当時はヘルメット着用の義務が無く、風を切る感覚は特別だった)

ミニスカートをはいた家内が、私にしがみついて後ろに座っている。
希望よりも不安の方が大きかった未来へ、私達は共に走り出していた。
私は19歳、家内は17歳、まだ高校生だった。

青春時代、を一枚の写真で表現するなら、この瞬間かもしれない。
posted by satowa2 at 01:00| Comment(0) | essay | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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