2013年10月02日

IZANAI.......韓国へ行って想ったこと

いきざ祭り以降、私の中で大きな安堵感が芽生え始めていた。
今回、全国のIZANAIの精鋭達と韓国に行って、確信できたので、少し書いておこうと思う。
IZANAIとは須賀が発案した言葉である。
本来は、動詞の、[いざなう](誘う)であり、名詞型になる[いざない]は
辞書には載っていない。
いざない、がIZANAIとなった背景には北海道の「YOSAKOIソーラン」
が「よさこい」ではなく、「YOSAKOI]と言ったのが、
ある程度影響していると思われる。
須賀のIZANAI思想は、他動詞だった[いざなう]を自動詞とする
[いざない]としたところから始まる。つまり、
他人から誘われるのではなく、自らを覚醒させる為の言葉としたと思われる。

今回、韓国に遠征に行った踊り子達が、FaceBook(以下FB)で
多くの感想を述べているが、現地で話した事と併せて考えると、

須賀の想いが、ようやく大地に根を下ろしたのを実感した。

よさこい、を通して三無を正す事、いい世よ来い!!と叫ぶ「よさこい」は
盆踊り的な「よさこい」で満足していた封建的な土佐人には異端であった。
その為、多くの誤解が生まれたが(聊か、誤解を招く様な振り付けもあったと
思うし、当時、ニューエイジ思想に関わった事もあるので、より強かった。)

セントラルの踊りと「YOSAKOIソーラン」の影響で、須賀の「よさこい」が
全国に普及してくると、単純な土佐人は1996年には評価し始めた。
そして、2002年には高知国体の開会式典前の演舞をまかされた。
これは、高知の「よさこい」の頂点である事を認められたに等しい。

セントラルを離れた須賀が、たどり着いたものがIZANAIだが、
その道標となったのが、松浦氏と岡野氏だろう。
洗練された、松浦氏の音楽、岡野氏にいたっては音楽だけでなく
岡野氏の生き方そのものが、、須賀の求めていたIZANAIであった。
二人の作る調べに乗って須賀の振り付けにいっそう、磨きがかかってゆく。

ハレルヤ、フリーダム、五大元素、You Are Love まほろば、と 
94セントラルをしのぐほどの名作が生まれた。

そして、彼女の亡き後その遺志を継いだ、悠一朗氏と楽仙岡野氏との
新作「よさこい」はIZANAIの集大成とも言える作品となった。
ここに第2世代のIZANAIが発進した事になる。

1995年の第一回ホノルルフェスティバルの時踊られた 
94セントラルを見て初めて「須賀のよさこい」が好きになった訳だが、
今回の韓国遠征で踊られた「よさこい」でようやく
須賀のIZANAI思想が実を結んだのを確信するまで、
18年もかかってしまった。

そして、IZANAIが間違った方向ではなく、より進化して
「よさこい」に確実に根付いている事を知った。

韓国に渡ったのは、私を含め21人。
初めは、九州、高知、神戸、和歌山とよく見た顔ぶれだったが、
これまで、話す事など殆ど無かった。

実際のところ、何処の遠征でも強行軍で、撮影の準備で精一杯だったし、
敢えて、会話を避けている自分もいたからである。

須賀のIZANAI思想には、多分にニューエイジ思想が含まれていた、
と言うより、出発点がそれである。
それまでは、三無と、いい世よ来い!!、の「よさこい」で、
三無にしても、最初は無気力、無感動、無責任であったが、一時期は
無気力、無関心、無責任になったりした。
(こちらのほうが、語呂がいいが、最終的には無感動になっている。)
目指すところが、曖昧で説得力に欠けた。

ニューエイジ思想は理想であり、共産主義と同じく、人間が存在する限り
矛盾が生じる思想、信ずる者だけが救われる、と勝手に思っているだけの
思想である。
須賀を含め、彼女の周りの人達と話をすると、何処かの新興宗教めいた話になった。
現実を見ているようで、全く見ていない。
いつ来るか解らない遠い未来の話にばかり話題が進んでゆく。
その為、ニューエイジ思想を「まがいもの」だとしている私は、
彼らとの会話が無くなっていった。

須賀との付き合いが、仕事上だけになったのも、それが原因だった。
それ以降、IZANAI思想について、誰とも話したことは無い。

その間に、須賀のIZANAIは恐ろしいくらいに発展していた。
今回4日も、将来(数人は現在も)IZANAIの中核となる人達と
過ごす中で、彼らの会話を間近で聞く事が出来た。
そして、いきざ祭りの雰囲気で感じ始めていた安堵感が
より大きくなっていった。

ニューエイジ思想の利点を残し、現実に対応した「よさこい」を通じた
須賀のIZANAIは彼女の人柄も手伝って、多くの若者に伝わっていた。
私の懸念は見事に打ち消されていたのである。

韓国のストリート、メインステージで悠一朗氏の考えた、日の丸が舞った。
がんチャンのコメントのように、「物が飛んできてもおかしくない」状態、
(実際、ストリートでは、帰れ!!と騒ぐ人がいたが、警官に連れて行かれた(笑)!)
の現在。踊り子達は誰一人、恐れることなく輝きわたる笑顔をみせて演舞した。

踊り子達は平和の使者だった。


帰国して、佐々木春さんがFBで胸のうちをコメントしている。

何も考えず命がけで、使命を果たすのみ!!

これに対するコメントが凄い、踊り子達みんなの想いが、僅かなコメント欄から
溢れてくる。これこそ須賀IZANAIの想い、國友須賀の想い。

ニューエイジの姿はかけらも無い、出発点はどうであれ、
須賀の想いは、須賀のIZANAIは本物になっていた。

特筆する事がある、須賀IZANAI連は必ず、正調の「よさこい」を
踊る。今の若者達が馬鹿にする、私も馬鹿にするが、
都はるみの歌、盆踊り的な振り付け、ダサい踊りである。
しかし、今回の遠征で考えが変わった。
IZANAI連の誰一人として、正調「よさこい」を馬鹿にしていない。
何処の遠征でもそうだった、小さい子供も大人も、誇らしげに踊る。

IZANAIが踊れるのだから、正調はたやすい、自信たっぷりに踊る姿は
過去の正調ではない、現代の「正調よさこい」である。
少し、アレンジされた振り付けが、古さでない年季を感じさす。

ここに須賀IZANAI連の本質があると思う。
自分達の「よさこい」のルーツを誇る事、時代と共に楽曲や振り付けは
変化していくが、決して変わる事の無い、原点を大切にする心。
これこそが、須賀IZANAI連の素晴らしさだった。

10年後には正調「よさこい」を踊れるのは須賀IZANAI連
だけになっているかも知れない。

愛で平和な世界を、愛で世界を救おう!!
素晴らしい言葉だ、おそらくこの世に人間が存在した時から言われている。
しかし、世界は救われていないし、これからも救われる事はない。

しかし、その気持ちを持つ人が一人でも多くなれば、
より多くの不幸な人々が救われる事は間違いない。
その為に私達は、今何かの行動を起こさなければならないのだが、、、、、。

再び佐々木春さんの言葉を借りよう。

IZANAIを踊リ続ける!!!

言うは易し、行なうは難し。だが
上っ面の言葉を並べるよりも
大切な時間を費やし、大事なお金を使い。
何も考えず、生きがいとしてIZANAIを踊る。

それが、韓国の人達の拍手喝采を産んだ。
それは、踊りだけではなく、彼らのIZANAI精神が産んだと
私には思えた。

今回の20人だけではなく、日本全国には多くのIZANAI人が
いる事を知っている。
彼等彼女達が須賀のIZANAI思想を受け継いでいたとしたら、
世界平和は来なくても、どこかに平和が来る可能性は増えていく。

何より、最初に須賀の望んだ、無気力、無感動、無責任な若者は
IZANAI人には、一人もいない。

國友須賀の存在は、IZANAIとなって後世に伝わってゆく。
「IZANAI」この言葉が辞書に載る日も、そう遠くは無い。

子供達、若者達に、本当の戦争と平和は教える事は出来ないと思う。
しかし、IZANAIを踊る事、それだけで彼等は平和の使者となる。
須賀IZANAI連の踊りには、それだけの力がある。

世界中の人々が、IZANAI人(びと)となることを、、、、、。













posted by satowa2 at 17:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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