2013年09月13日

一つの時代のおわり

暫く、見なかった岩目さんのブログを覗いて寂しさがこみ上げてきた、
7月の段階で既に「よさこい」からの撤退を宣言していた。



昨年は、枡形の競演場でボランティアとして、活動していたので、
池上のおっちゃんもセントラル復活で、気勢をあげている事だし、
今年はどこで?と思っていたが。そういえば今年は会っていなかった。

岩目一郎、
帯屋町と言うより「よさこい」の顔である、つまらなかった祭りを変えていった人。
地方車を導入、中央公園での前夜祭開催、など多くの改革を目指した。
当然、須賀の「よさこい」にも注目、意気投合して「よさこい日本」立ち上げとなった。
ひろめ市場を発案して成功を収めたが、須賀との「よさこい本陣」で失敗。

広島の後、レオマワールドで再び企画を担当、須賀をレオマに呼んだのも彼である。
現在香川の、高松版ひろめ市場で健闘している。

私が彼に会ったのは、およそ30年前須賀に出会った直後だった。
とにかく、企画屋そのもので、帯屋町の家業は衰退していたが、ロック世代の若者相手に
キャラバンサライを立ち上げて間もない頃だったように思う。
当時の帯屋町のよさこいは、帯屋町だけでなく、高知のよさこいの牽引役で県会議員をしていた
原こう氏が無くなったばかりで若い岩目氏が大役を担っていた。
2001年幻の追手筋総踊りの時、地方車の上にいたのが私と須賀、明神さん、
そして岩目氏である。
明神さんが今年63歳、私が62、岩目氏が61、そして須賀先生が生きていれば60歳
年の順に「よさこい」から離れていく。

「よさこい」から離れると言えば、私の場合、「よさこい」に関わった訳ではなく
須賀の「よさこい」に関わったつもりなのだが(笑)!
それでも、今年新生IZANAI連や、復活したセントラルに同行したので、
長く関わっている気がしてしまう。

61歳で新たな道を模索する岩目氏、
62歳で和歌山の「いきざまつり」の発展に協力を誓った私、

悠一朗君の新生SUGA IZANAI が発進した。
今ひとつの時代が終わりを告げようとしている。

私たちの「よさこい」の関わり方には大きな違いがあった。
岩目氏のそれは、青春そのもの、40年近くの人生を捧げた祭りであったろう。
私のそれは、単に一つの祭りでしかなかったものが、踊り子に魅せられ、
その踊り子の集合が、IZANAI連であった訳で、須賀という存在が無ければ
単なる面白くない地元の祭りに過ぎなかった筈である。
実際、未だに「よさこい祭り」には興味が湧かない。

それでも、須賀が逝き、岩目氏が撤退宣言をすると、本当に人生の終盤を
肌で感じて、過ぎ去った日々が次々と思い出されるのである。
同時に、情けない事柄も思い出して、今回の記事となった。

私の手元に、「よさこい祭り」40年史という本がある。これは高知県人誌発行時代
よさこい振興会から貰ったものだが、振興会には20年史も保存されている。
これには、年代別に過去の出場チームや受賞歴が詳しく掲載されており、
その時表彰された、よさこい功労者の氏名が明記されている。
今年、60周年を記念して須賀の表彰を期待したが、表彰どころか記念誌の出版さえ
行われなかった。

常々言っているが、今のよさこい振興会の運営方針には、うんざりするばかり。
本家、本家と叫ぶばかりで、本家たるところは微塵も見られない。
よさこいソーランの恩恵で現在の繁栄があることに一体何時になれば気付くのか?
局と結託して、つまらないDVD販売で利益を上げることに夢中になっていては、
よさこいソーランのように、何れは衰退の憂き目を見るのは明らかである。

須賀が逝って、「よさこい」に関わる事は無いだろうと思っていた昨年だった。
未だ編集作業が捗らないほど、「よさこい」の映像にまみれて生活している現在
須賀の残してくれた遺児たちは、今まさに私に「よろこび」を与えてくれている。

須賀の想い、これこそIZANAIである。


岩目さんお疲れ様でした。

日本一のよさこい祭りの煽りや
http://blog.livedoor.jp/iwame163poo/archives/51922561.html
posted by satowa2 at 05:14| Comment(0) | essay | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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